【BOOK】にがにが日記(と生活史と医療の話)

タイトルのとおり「日記」なのだけど、1日分の日記の中でも話題がどんどん移り変わっていって、その日(またはもっと長期間)に起きた出来事、思いついたこと、昔の話……なにしろテンポが良い。

人間、なんとなく一貫しているフリをしていても、実際にはそんなことなくて、思考はあちこちに飛んでいくし、昨日と今日で考えが変わることだってあるわけで、それを素直にそのまま文字にするとこんな感じになるのかもしれない。中身的にも、楽しそうだったりくだらなかったり一気にネガティブになったり、遠慮なく率直にゆらゆらしているのが個人的にとても好き。長年ともに暮らした飼い猫を看取る「おはぎ日記」は、同じタイミングで同じことに対してためらうことなく泣けるのいいな、と思った。家族だからってみんなできることじゃないはず(まず、素直に感情を出し合える関係でないと不可能)。

にがにが日記を読み始める少し前のこと、「沖縄の生活史研修会」というのに参加した。在宅医療・介護に携わる人向けだが一般人もOKということで、オンラインで岸先生と在宅医の先生の講演を拝聴。基本的には「生活史を聞き、その人の行動原理(「他者の合理性」)を知ることで、ケアに役立てることができる」という話なんだけど、話はあちこちにふくらみ、「聞く」と「聞き出す」の違い、共同意思決定やACPの話、沖縄と本土の死生観、家族観の違いまで盛りだくさんだった。

ただ個人的には、「社会学者として生活史は役に立たないと思っている」「沖縄の人たちの話を研究に使うのは搾取の再生産になるのではないか」「患者さんから話を聞き出すことの暴力的な側面を知っておくべき」「話を聞けたからと言ってその人のことを分かったつもりでケアしてはいけない」などなど、両者ともかなり抑制的というか、手放しに生活史を勧めない感じが頭に残った。そういうことをちゃんと考えながら実践してる人のほうが信頼できると思っている。「これさえあれば患者さんのことが分かる便利なツール!」みたいな話だったら、たぶん途中で退出していた(そんなわけないと思ってはいたけど、ケア労働の中でそういうものが欲しい瞬間があってもおかしくないと思うし)。

人間の揺らぎをどこまでもわかっている人の話だったんだなあ、と今改めて思い返している。