「文章を書く」という広大な仕事の話

表に出ないひっそりした仕事が多い今日この頃ですが、表に出せる仕事としては、こんな感じでWebメディアの編集などをやっております。ネタ考えたり記事チェックしたり進行管理したり。
(そういう感じの仕事、もっとやりたい気持ち)

その他、翻訳したりWebメディアの記事を書いたりする毎日です。

 

私の仕事は基本的に「文章」という形での発信なのですが、しばらく前に短い自己紹介文を某所に書かないといけなかったとき、「文章を使った顧客とのコミュニケーション支援」みたいなことをぽろっと書いていたのですね。書いてから「ああ、たしかに」と。

私の仕事の範囲に限れば、文章ってコミュニケーションの手段の1つだし、ビジネスの中のパーツの1つなんですよね。

 

パーツというのはいろんな意味に取れるんだけど、まず否定しないといけないのは、パーツだからって「おまけ」でも「飾り」でもないということ。

「書いてあれば何でもいい」というものでは決してない。あってもなくても変わらないようなものじゃなく、もっと大事な部品の1つだと思う。Webがこれだけ当たり前の時代ですから。

とはいえ(というか「だからこそ」というか)、あくまで「パーツ」だよなと思うのは、全体を見ないとコミュニケーションとして効果を発揮する文章って成立しないからです。

 

例えば、企業のWebメディアの文章。

その企業がどんな企業で、どんな方向を目指しているのか。誰向けのどんな商品を売っているのか。そのうえで、誰に何を伝えるメディアを作るのか。どういうテイストの文章がふさわしいのか。

顧客はどんなものが好きで、どんなことが知りたいのか。どんなことに悩んでいるのか。どこ経由で情報を手に入れているのか。

そういった諸々があったうえで、1つ1つの文章が存在するわけだから、パーツ。文章を書く以前の話が途方もなく多いのです。「それっぽいもの」を適当に置いておいても機能しない。

個人のホームページの文章なんかも同じことです。聞こえのいい言葉を適当に並べただけでは、ビジネスのパーツとしてハマるとは限らない。文章が集まれば、その人のキャラや人格として歩いていってしまう。

 

そういうことをあれこれ考えながら仕事をしていると、文章を書くというのはものすごく「広い」仕事だなあと思います。どんな文章を書くかにもよると思うんだけど。

一時期はセラピストとして人の話を聴く仕事もしていたし、あくまで個人事業のレベルとはいえ自分で仕事を始めたい人向けにコンサルもしていたので、なおさらそういう思考回路なのかもしれません。

逆に、そういう思考回路をうまく使って仕事ができたら、私が常に持っている「埋もれている魅力的な人々を世に出したい」という想いも実現しやすくなるのではないか、とも。

1つのことに特化した専門家が増えれば増えるほど、横に串を刺すような存在とか、非専門家との「翻訳」ができる存在って必要だろうと思うのだよね。

 

とはいえ、「自分のやっていることをどう定義して説明したらいいのか」「自分の”使ってもらいどころ”はどこなのか」というのは、もはや私の永遠の課題みたいになってきています。

そもそも、最初から人生の歩み方がいろいろおかしいから、世間一般の分類にはどうやっても当てはまれない。世にないものはわかってもらいにくい。中途半端に見られるのも仕方ない。

その辺は、それこそ私自身が、いろんな形でどんどんコミュニケーション取らないとダメなのでしょう。

「コミュニケーション」というものが得意だった記憶はないので(むしろコミュ障寄りだと思う)、自分のこととなると一気に億劫になるのですけど…仕事だ、仕事。

 

とりあえず名刺の肩書はシンプルにしました↓

※なお創作部門は、10月にパリに出す作品創り終えて以来、絶賛燃え尽き中です(爆)。

入口はわかりやすく、でも1歩踏み入れると奥までどんどん踏み込みたくなる、みたいな感じになるのが理想だろうか(どういうことだ…)。