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必死で人生を立て直した2018年の話。

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2018年が終わりますね。

1月には原宿で個展を開き、5月には一軒家でイベントをやりました。10月にはパリにも行ったな。1月の個展の直後に、パリの作品展に出さないかと声をかけてもらったのでした。

…見事に写真関係ばかり。

でも別に写真方面がすごく発展したわけではなく、どちらかというと頭打ち感のほうが強くて、そして、これ以外に今年思い出せるような出来事ってほとんどありません。

 

この1年何をしてたかって、必死で人生を立て直していました。

 

いろんなことが、とにかくもう無理でした。

この場所にはいられない。この仕事では未来がない。今の自分では誰の役にも立てない。頼る人もいない。お金もない。とにかく何もない。

何とかして目の前の現実を少しでも動かさなければいけない。どこか別の場所に行かなければならない。袋小路みたいなところで、ずっとずっとそんなことを考えていました。

 

次に行きたい。

 

とりあえず生きることをやらなければならないのだ、と思いました。できるだけ自分の好きなことや得意なことの近くで、先のこともしっかり見据えた仕事を探そう。そうしよう。

2月~4月ごろの手帳には、いろいろな会社と打ち合わせをしていた形跡が残っています。あまり覚えのない〆切の予定なんかも書かれています。なんか原稿を書くか何かしたのですよね。すごく前のことのように思うけど。

 

この頃やりとりのあった会社の中で、今も一緒に仕事をしている会社は1つもありません。

そこそこ頑張って動いてみたはずが、何一つとして実らなかった。

 

自分のありったけのいろんなものを提示してみたつもりだったけど、私が「これをやりたい」「これならできるはず」と思っていたものたちは、社会の中ではどうやら求められていないらしい、ということがとてもよくわかりました。

もっと正確に言うと、違う人ならつゆ知らず、「私が差し出すそれは必要ない」ということだったのだと思います。個人でやってきたことはほとんど実績としてカウントされませんでしたし、いろいろなことをやってきたからこそ「信用できない」とみなされた感じもありました。

まあ、世の中的にはそっちのほうが普通だもんね。一貫性のない人間は嫌われます。

 

はたして、自分はこの社会で必要とされているのだろうか。

 

この1年を振り返ると、4分の1ぐらいは、布団に入った瞬間に涙があふれてきて、起き上がるのに昼までかかって、目が覚めた瞬間からまた涙があふれてきて、そんな毎日だったのだけど、だんだん何かが麻痺してきたのか、いよいよ自分のことがどうでもよくなってきたのか、

もう自分を適当に切り売りすればいいのではないだろうか、と思うようになりました。

自分の意思でこうしたいとかこうなりたいとか、そういうのが一切実現しないのだとしたら、世の中に自分の身をどんっと差し出して好きに料理してもらうしかない。「好きなことを仕事に」という言葉はもうそこいらじゅうで聞かれるけど、少なくとも私は、自分の好きなことでは世の中から求められていないのだから。

何もないからこそ、「これがやりたい」なんて生意気なことを言ってる場合じゃなくて、相手から判断してもらって使ってもらうしかないのだ、と割り切った頃から、少し動きが出始めました。暑さのピークが過ぎた頃のことです。

 

最終的には、10月にパリから帰ってきた後、「え、そこですか!?」っていうところになぜか目を付けられたのが今年のハイライトでした。おかげで何とか今日まで生き延びています。

自分ではまったく使う気がなく、特に好きでもないからさっさと捨てようと思っていた部分が、どうやら世の中的には最も役に立つという判断だったみたいです。魚のはらわたみたいなもんだろうか。好きな人は好きだものねぇ。

いや、私が差し出そうとしてたものこそ相手にとってははらわたで、私がはらわただと思ってた部分が相手にとっては脂の乗った身だった可能性もあるんだけど。

 

そんなこんなで2018年末。

仕事が大幅に入れ替わりました。年始にやっていた仕事、もう1割も残っていません。

いろんな文章を書く仕事を通り過ぎたら(今も書いてるけどね)、企画とか取材とか編集の仕事が増えました。

アート方面の写真じゃなく、ずっと避けてきた人物写真をなぜか仕事として少しずつ撮るようになりました。

 

どうしてこんなことになってるんだか、あんまりよくわからないけれど、最終的にはとりあえず、嫌いなものがあまりない世界で暮らすことができています。ものすごく好きかと言われると、これまたよくわからないけど。

正直なことを言うと、なぜ自分がそれぞれの場所で必要とされているのか、いまだによくわかりません。なんか使ってもらえてるんだけど、「自分の仕事感」はあんまりなくて(無責任にやってるってことじゃないよ)、まだふわふわしている。

そもそも新しいことを始めるということは、「できる」と思えるものがない場所に行くことです。今、私の中で「これはできる」と思えるもの、正直ぜんぜん見当たないのだけど、まあそれはたぶん普通のことだから仕方がない。いつか慣れると信じるしかありません。

 

この1年を経て得た気づきみたいなものの1つは、私がたどり着きたいと思っていた世の中なんてどこにも存在していない、ということでした。

 

私はいわゆる優等生だったのだけど、周りが偏差値やテストの点数や学校の名前だけでこちらを見てくるのがとても嫌で、「表面だけではなく人間そのものを見る」ということをずっと意識してきました。

そして、「どこかに人間そのもの同士でつながれる世界があるはずだ」と信じて、自分の居場所を必死で変えようとしていました。それこそ、中学生ぐらいの頃から。

でも、あのとき見ていたものって、特殊な世界でもなんでもなくて、単なる世の中の縮図だったんだなあと。

遠くまで逃げればもう少しましな世の中が見えるんじゃないかと思っていたけど、実際にはそうでもなかった。上っ面だけで人のことを判断する人も、人を金としか思っていない人もいっぱいいて、人がちゃんと人になれる瞬間ってずいぶんと限られている。

 

…昔から世の中を知っていたなんてすごいじゃないか私(えっへん)

 

ふと、「宿題を見たいときだけ近寄ってくるクラスメイト」っていうのがいたのを思い出したのです。特に仲が良いわけでもないのに、そういうときだけ近寄ってくる子がいて。

なんかもうそれでいいんじゃないかと思ったんですよね。見せてほしいなら見せてやるよ何でも、みたいな。それがあなたの役に立つとは思えないけれど、気が済むならいくらでも見せてやろうじゃないか、と。社会ってそういうところありますよね。絶対世のためにならないことを世のためになるふりしてやるようなところ。

子どもの頃は自分の頑張りを無にされるのが許せなかったけど、大人になった今なら、まあそれなりに折り合いをつけられる。仕事ならお金もらえるし。世の中がそのままなら、自分もそのまま同じことをしてやればいいだけだ。

夏が過ぎるころにばんっと割り切ったのは、こんな事情もありました。一応言っておくと、気持ちの上で割り切った話であって、すべての仕事に嫌な要素が混じってるわけでもなく、やけくそで働いてるわけでもないです。おかげさまでかなり平和に働いています。

 

でも。

 

私が求めていた世の中が、たとえこの世のどこにもないのだとしても、せめて自分ひとりだけでもいいから、その世界を見ていたい。そんな気持ちが離れないのです。

私はどうしても、人間は人間であってほしいし、何より自分が人間扱いされたいし、世の中に混じってしまう「中途半端」や「本音っぽい嘘」や「本質っぽい上っ面」が好きになれないし、答えのなさそうなことをぼんやり考えるのが好きだし、ちょっとでもはっとするものを見つけたら写真に撮りたいし、文章に書きたいのです。

仕事のことだけじゃなく、人としての魅力もちゃんと伝えていきたいから、インタビュー企画「生き方事典」を始めました。人柄や空気感まで伝わるインタビューになったらいいなと願いつつ。

いろいろいびつな世の中にも、美しいものはあるし、ふと心に残るものもあるし、引っかかるものもあるから、写真を撮りたい。もっと美しいものを見たいから、いくらでも創作したい。自分の感情の手触りを確かめるためにも文章を書きたい

さらに、それらが誰かのもとに伝わることで何かが花開いたら嬉しい。

 

私の好きなものたちは、私が求める理想の世界を見せてくれるものたちなのだと思います。写真を撮るとか、創作するとか、文章を書くとか、人の魅力を伝えるとか。愛とか美とか「!」とか、ときにはせつなさとか悲しさとか怒りとか、いろいろな人間的なものに満ちた世界に私を連れていってくれるものたち。

写真もエッセイ的な文章も「生き方事典」も、お金はあまり生んでいないけど(というか写真以外は1銭も生んでいない)、少なくともそれがあれば私の幸せは増やせます。仕事にならなくてもやりたいと思えるのはそういうことなのだと思います。

そう、必ずしも仕事にならなくてもやろうと思う。でも、仕事も兼ねられたらそれはとても嬉しいし、仕事になるということは、私が思い描いている世界がたぶん私の外にも広がっていくことになるから、それはきっと人にやさしくて良いことなのだと信じています。

 

エッセイ書きの仕事があったら欲しいです。フォトエッセイとかもできるかな。毎月連載みたいに書けたら嬉しい。何かあったらぜひください。

 

なんというか、自分の身を切り売りした金を使って好きな世界を広げて心を肥やす、みたいな展開。

それが良いことなのかどうかはわかりませんが、私は元来臆病で人見知りで、人と向き合うことにすごく慎重になってしまうから、少しでも人にやさしい世の中で生きていたい。見たい未来から手を離さないでいようと思います。

 

明日のこともよくわからないまま生きていますが、2019年がやってきますね。

 

※おまけ。

11月に鎌倉の鶴岡八幡宮で買った仕事守。

これを買った直後からものすごく忙しくなって、1ヵ月半ぐらいふらふらの睡眠不足になったので、たぶんすごく効果があるんだと思います。たぶんだけど。効果なくても責任取らないけど。

 

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