「自己啓発本は役に立たない」と思っているあなたへ。

じこ‐けいはつ【自己啓発】
本人の意思で、自分自身の能力向上や精神的な成長を目指すこと。また、そのための訓練。(デジタル大辞泉より

 

 

「自己啓発本」という一大ジャンルがある。

Amazonで自己啓発本ランキングを眺めると、「君たちはどう生きるか」とか「人に好かれる極意」とか「嫌われる勇気」とか、そういう文字が並んでいる。

こういう本が売れているということは、生き方に悩み、他人にどう見られるかを気にしながら、多くの人が日々を過ごしているということなのだと思う。

 

一方、「自己啓発本は嫌い」「自己啓発本なんて役に立たない」という声もたくさん聞く。読んでも何も変わらないとか、どの本にも同じことしか書いてないとか。

たしかに「あの本に似てるかも」とか、「ちょっと内容が物足りないかも」という本に出会ったことはある。でも私自身には、「読んで良かったな」と思っている自己啓発本が何冊もある。

だから、「自己啓発本は役に立たない」のではなくて、「役立てようとしていない」だけなのではないか?と長らく思っていた。

 

しかし、「役に立たない」という人がいる理由が、最近になって少しわかったような気がする。

 

冒頭に書いた通り、自己啓発とは「自分の意思」で「自分自身」を成長させるためのものだ。だから、基本的には自分一人が頑張ればいいわけで、本を読んだりセミナーに通ったりして、知識や考え方を身につけるパターンが多い。

ところが、いくら頑張って勉強しても、自己啓発本で勉強したことが「役に立たない!」「使えない!」と思う瞬間は、意外とあっさりやってきてしまう。

 

自己啓発自体は、「自分自身」を成長させるために「自分の意思」で頑張れば良いだけなのだが、読んだ自己啓発本の中身を活かす場所は社会の中。つまり、「自分自身」以外の「他人」が大勢いる場所なのだ。

 

例えば「嫌われる勇気」。タイトルを見るだけでも「他人」が出てくることは明らかだ。仕事論や人生論だってそう。完全に一人で成立する仕事など存在しないし、自分以外誰も存在しない人生だってありえない。

 

そして、自分ひとりが自己啓発本を読んで成長したつもりでいても、いざそれを社会の中で使おうとしたときに、心を折られてしまうケースが多いような気がするのだ。

 

嫌われる勇気が身についたつもりでも、周りが容赦なくこちらを攻撃してきたときに、耐えられるかどうか。いきなり出鼻をくじかれたように心を折られることもあるだろう。

あるいは、本やセミナーで得た知識を実践しようとしても、周りから「意識高い系」みたいに鼻で笑われることだってあるかもしれない。それはそれでダメージがあるだろう。

まあ、「他人は変えられない」みたいなことも自己啓発本に書いてあるのだが、周りに何を言われても耐えられる神経の人は、そもそも自己啓発が要らない人だろう。本を読んだぐらいでは、急にそんな達観したところまで成長できない。

 

そう考えると、自己啓発本って究極のところは「人間関係本」なのではないだろうか?たとえ直接的に人間関係を扱っていないものであっても。

 

自分を変えるぞ!という気持ちだけで知識を増やすだけでは、そもそも活かしきれない性質の本なんじゃないだろうか。

学ぶのは自分で、変わればいいのは自分だけかもしれない。でも、自己啓発本で学んだことを活かすというのは、「他人との間でその知識を活かし、使いこなせるようになること」までを指すのだと思う。

「言われてることはわかるけど、それができないから困ってるんだ!」みたいな話がよくあるけど、それって「自分だけ変わっても、周りの反応を考えたら無理だろ」っていう意味での諦めもけっこう入っているような気がする。

 

この考えに至ったのは、自分のエッセイ集「人間観察日記」をパラパラと読み返していたときのことだった。

 

そもそも「人間観察日記」を書き始めたのは、単に「面白い人がいっぱいいるなあ」という気持ちだけだった。いろんな人がいるということを伝えてみたかった。あとは、やわらかいエッセイ的な文章を書いてみたかった。それだけ。

書くにあたって、1つだけルールを設けた。観察対象の人物を悪者に仕立てないこと。どんな人であっても必ず良いところを見つけて、100%の悪意で文章を終えないこと。だって、悪いところだけの人間なんていないはずだから。

 

カフェや街中で出会った、見知らぬ誰かの話。雑多な中で、特に深く交わるとも限らない人たち。利害関係も特に生じない人たち。

そういう関係ない相手を狙って暴言を吐いたりする人もいる。駅員さんに暴力をふるう人たちとか。

 

でも本当は、深くかかわって利害関係がない人たちのことこそ、優しい目で見つめやすいのではないだろうか?

すれ違う他人をあたたかい視点で見ることができるようになったら、自分や身近な他人にも優しくなれたりしないだろうか?

 

何本も書いているうちに、徐々にそう思うようになった。身近な人間関係ほど距離が近くてかかわりが深く、直接自分に影響が及ぶので、嫌なところが目につきやすかったり、許しにくいこともあったりするような気がするから。

 

そうか。

もし「人間観察日記」を通して、この発想が読者に少しでも伝わったら、他人を少し優しく見つめてみようかなと思ってもらえたりしたら、それこそ見える世界は変わるよな。

 

そして思ったのだ。

実は、人間観察日記のほうが、よほど普通の自己啓発本よりも自己啓発的なのではないだろうか?

 

自己啓発の1つのポイントは、たぶん「物の見方を変えること」だと思う。例えば、「嫌われたらどうしよう…」と心配していた人に対して、「いや、嫌われる勇気を持とうよ」という新しい視点を提供すること。

「人間観察日記」を自己啓発として書いたつもりはない。でも、「自分とは違う物の見方を知る」「人を見る観点を増やす」といったことは、おそらく叶う。

 

それに、一足先に読んでくださった方々が、「どの話も、どこかで見たことがあるような気がする」という感想をくださっている。さらに、そんな中にどこか新鮮さというか「非日常感」まで覚えてくださっているようなのだ。

それってまさに、いつもの景色を違ったメガネで見ている結果なんじゃないだろうか?まさにそれこそが自己啓発の本質の1つのはずで、もしそうだとしたら、私の書いたものはその本質に非常に近いはずだ。

 

まして、自分に寄せて読みやすい身近な物語だとしたら、きっとカッコいい言葉がふわふわと並んだ本よりも日常の文脈に持ってきやすい。つまり、活かしやすいということになる。

「ストーリーが大事」と叫ばれ、漫画や小説仕立てのビジネス書なども流行っているが、それってたぶん、いろんな登場人物の出てくる物語のほうが、理屈で説明されるよりも共感できて、自分の中にするりと入ってくるからなんだよね。

 

そんなわけで、下手な自己啓発本よりも「人間観察日記」のほうが人生を変えられるんじゃないか?などと、私は今、軽くうぬぼれている。自己啓発の香りがしないのに成長できちゃう本、みたいな。

もちろん、純粋にノンフィクションとして読んでいただいても構わない。読み方は自由で、ただ「あーおもしろかった」みたいな感想だって嬉しい。

でも、自己啓発本が嫌いな人も、何冊読んでも自分の成長が見えてこなくて困っている人も、「人間観察日記」なら何かしらの変化や成長の糸口を見つけられるのではないか?と思ってしまっているのも事実だ。

 

実際に私の考えがうぬぼれかどうかは、読んでくださった方に判断をゆだねたいと思う。

なので、よろしければ後日ぜひ教えてください。「いやいや、うぬぼれじゃなくて本当にそう思うよ」とか、「うぬぼれにもほどがあるだろ、このバカ」とか。

 

 

だからまだまだ書き続ける。レビューやご感想、冗談抜きでお待ちしています。

 

 

※「人間観察日記」やその他エッセイは、現在noteに書き溜めています。

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