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雑食系フリーランス 及川智恵/世界には、人の数だけ「面白い」が溢れている。

自分軸のつくりかた ひとりごとコラム

夢がない自分を、あなたは自分で許せるか?(というか、許せ)

投稿日:2017年11月17日 更新日:

「好きなことも夢もない自分を、自分自身が許せるか?」この話、今度ブログに書きたい。動き続けてないと死んじゃうマグロみたいな人には関係ないでしょうけど。

及川 智恵さんの投稿 2017年11月14日(火)

 

Facebookにこんな投稿をしたら、「書いてほしい」というコメントが複数付きました。誰か1人ぐらいは反応してくれるかも?と思ってたけど、複数反応があったというのがまた興味深い。

どんな風に書こうかなと考えてたんだけど、結局自分の話を起点にすることにしました。そして書き始めたらなんかすごい長いのが書けてしまったので、各自必要な情報を拾っていただければ(無責任)

 

 

夢があるはずだった。「あれがやりたい」「これがやりたい」と思っていたつもりだった。

フリーランスになり、個人向けのセッションやコンサルなども始め、それなりに大きなビジョンのもとで活動しているつもりだった。

 

でも、今ならわかる。本当にやりたいことなど、別になかったのだ。むしろはっきり言って、何もしたくなかったのだ。それも、ずいぶんと長い間。

頑張ることなら、子供の頃に十分やった。受験だって頑張ったし、学校の勉強や習い事も頑張った。大人になったんだからもういいだろう、と思っていた。それなのに、まだ頑張らないといけないことが根本的に不満だった。

 

自分の収入で食べていくしかないから、生きるために働かなければならなかったけど、でもどこか自分をよく見せないといけないと思い込み、前進しているような見せ方だけは気にしていた。

何か強い動機があるように見せなければならない、と思っていた。そうしないと売れなくなってしまう、見放されてしまう、と思っていた。

キラキラして見えること。人気者に見えること。たしかにそう見えたほうが良いことは良いだろうけど、いつの間にか「そう見えないことが恥」とまで、無意識に思い込んでいたのだろう。

 

そうこうしているうちに、お金がどんどんなくなっていった。

 

猛烈に不安だった。これはどうしたものかと考えたけど、どうもこうもない、誰かに養ってもらえるほどの人間的魅力も才能も持ち合わせていない。お金を稼ぐには働くしかなくて、同時にいろいろなものを諦めるしかなかった。

 

今思えば、あれはなんという最高のリセットボタンだったんだろうか。

あれこれ飾ることを捨てざるをえなくなったら、ただ「生きる」ということにスパーンと焦点が戻ったのだ。

 

カッコを付けるでもなく、見栄を張るでもなく、とりあえず自分という生命体を維持する。そのことだけを考えなければならなかった。

命にそこまで未練はないけど、自ら命を終えるほどには切迫していなかったので、生きないといけなかった。まずやるべきことはそれだ。屋根のある家を確保して、食べて寝ること。暮らすこと。

 

不思議なことに、生きることだけに目を向けることになったら、かえってやりたいことがむくむくと膨れ上がってきた。要らないものも、よく見えるようになった。

私はゴージャスな暮らしなど別に欲しくないのだ。そりゃある程度良い生活ができたら嬉しいし、創作とかにお金を注ぎ込めたらとも思うけど、あとは人のためにお金を使いたい。

もっと創りたい。いろいろな人に伝えたい。いろいろな人のことを伝えたい。いろいろな人の生き方をラクにしたい。いろいろな人に活躍してもらいたい。

 

10年もの長い間見えなかった本音がようやく見えた。言葉にしてしまうと、たしかに同じようなことをずっと言い続けてきた気もするけど、自分の中での感覚が大きく変わって、別物のようになった。力のこもり方が変わった。

 

不安がないわけではない。むしろ、今だって年がら年中不安だし、いつどうなってしまうかわからないとけっこう本気で思っている。生活保護のもらい方ぐらいは今から調べておかないといけないかな、と思ったりもする。

ただ、「生きる」ということから焦点を外さない限り、大丈夫なのではないか、と今はなぜか安心感がある。寝て、食べて、日常生活を送ること。そこから目を離さずにいること。

 

今の日本は、「貧困」という言葉が雑誌の表紙に踊ることがあるものの、一応、多くの人がそれなりに暮らせている。少なくともそういうことになっている。

だからこそ、「夢を持つこと」や「好きなことに熱中すること」が奨励される。生きていくのがやっと…という状況では、好きなこととか夢とか以前に、生きることを頑張るしかない人が増えるから。

 

たくさんの個人事業主と出会ってきたけれど、夢「らしきもの」を持ち、好きなこと「らしきもの」を仕事にしようとしている人が、けっこうたくさんいるように思う。

それはたぶん、本当の夢や本当に好きなこととは違う。夢を持たなければ、好きなことをやらなければ、という強迫観念に近いもので、「らしきもの」でもいいから何かないと…という風に見えることさえある。

別に夢などないし、そこまで好きなものはない。でも、そう見せかけないといけない。そう、昔の私みたいに。

 

個人的な経験から言うと、そういう「らしきもの」を追いかけている状態の人って、夢がないのではなくて、何でもない毎日の中に不満が多いのではないか?と思う。

いまいち冴えない自分にイラッとしているのだと思う。最近は、SNSでキラキラしたものが毎日目に入ってくるから、身近な人物がキラキラしていると、やっぱり自分と比べてしまって、嫌になることもあるだろう。

 

でも、不満は夢では埋まらない。まして、夢「らしきもの」ではごまかしようがないはずだ。

仕事にできるほどの好きなことって、けっこうな熱量が必要だけど、自分の不満を解消するという的外れの目標のために頑張ったって、結局のところ大した熱量は生まれない。新たな不満が生まれるだけだ。

それに、不満が強いときって、「これさえあれば…」みたいな飛躍的な思考をしがちだ。「起業さえすればキラキラできる…」みたいな。キラキラの裏側にどれだけの汗と涙と鼻水があるか、ご存知ですか。

 

夢なんて、ないならないで別に死なない。夢がない自分を素直に受け入れたらいい。好きなことだって別になくていい。そんなにカッコよく生きなくても構わない。人間、どうせみんなあちこち変な生き物なのだし。

それ以前に、まずはちゃんと「生きる」ということを幸せにやろうよ、と言いたい。

 

夢のない自分に罪悪感なんて覚えなくていい。そんな自分もすべて許してしまえ。好きなことなどなくてもいい。とりあえず今日の白米がおいしければそれでいいじゃないか。

日常的に幸せでいようよ、と思う。完璧な人生は存在しないけど、だからこそ日々の暮らしぐらい満足でいられたほうがいいし、不満の数より幸せの数を数えて暮らしたほうがいい。あたたかい布団やあたたかいご飯に感謝したい。

たまには愚痴も吐くだろうけど、「まあなんだかんだで良い人生よ」って言えるぐらいになること。それが夢以前の話としてあるように思う。

 

もちろん、生きるためには稼がないといけなかったりもするのだけど、私の場合、「生きる」に焦点を当て始めたら、「そんな当たり前のことに好き嫌いを入れないほうがいいな」と思うようになった。

ただ当然のように働く。もちろん、できるだけ仕事は選べたほうが嬉しいし、楽しければそれに越したことはないし、あまりにブラックな仕事はこちらから願い下げだけど。

でも、どうせ働かないといけなくて、どの仕事にもそれなりの苦労がつきまとうのだとしたら、自主的に楽しみポイントを見つけて働くほうがよほど満足感が大きい。少なくとも無駄な不満を持たなくて済む。

 

そして、好きなことだの夢だのを1回忘れて、ちゃんと「生きる」ことだけを考えていく中で、何か内側から湧き上がってくるものがあれば、それをやってみたらいいのだと思う。

別に大きなことでなくてもいい。「生きているだけでは飽き足らない」と思ったときに、本当にやりたいことが見つかるんじゃないかと最近たびたび思うのだ。ただ生きているじゃ退屈してしまう、そんなときに。

 

私たちは物質的に満たされ過ぎて、それが当たり前になりすぎて、それゆえに人生にも贅沢を求めすぎているのかもしれない。夢があるって本当はすごいことだし、叶えられるだけの労力を注ぎ込めるとしたらそれも贅沢なことだ。

 

おかげさまで今の私は、やりたいことがあまりにたくさんあって手の付け所が分からないという状態にあるけれど、それに想いを巡らせる時間はとても幸せだ。

そして、そんな時間を十分に楽しむために私がまずやるべきことは、ちゃんとご飯を食べることだし、ちゃんと寝ることだし、ちゃんと働くことだと思っている。「ちゃんと」の定義はご自由にどうぞ。

 

まあ、こういうことだよね。

 

で、そのうえで、夢を叶えるとか好きなことを仕事にするとかって実は何よりも「継続」が必要だと思っている。長きにわたって情熱を維持できるかどうか(火が消えてもまた灯せるかどうか)。

一過性の盛り上がりではなく、長く続くもの。というか、長く続けたいと思えるかどうか。今たとえうまくいかなくても、続けていきたい、うまくなりたい、などと思えるかどうか。意外とハードル高くない(笑)?

 

何事もそうだけど、続けられる人は強い。

そしてそれは、夢や使命や目標だけじゃない。何よりも「ちゃんと生きる」を続けられる人は最強なのだと思う。夢の有無よりも、そっちをもっと褒め称えたいような気がする。

 

だからなんというか、打ち上げ花火みたいな派手さばかりを求めるよりも、線香花火の風情を楽しめる人間でいたいと個人的には思う。

まあ、打ち上げ花火も好きだし、たまにパーンと打ち上げたいときもあるから、それも許してほしいけどね。

 

※日常をいつくしむと、非日常が見えてきて、それこそ花火みたいに楽しいと思っています。

-自分軸のつくりかた, ひとりごとコラム

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