「話を聴いてもらうこと」の威力

10月。私が一番元気な季節です。台風が来てからちょっと暑くなってますけど、空気が乾いてる分、過ごしやすいですね。

先日、「生き方事典」のインタビューをしてきました。今月も1本アップ予定ですので、お楽しみに。たっぷり話を聴いてしまうので、編集が本当に悩ましいのですけど…。

 

この企画、以前書いた通り、始めるまでにけっこうな葛藤があったのですが、今でも「相手の人にちゃんとメリットがあるだろうか」という点を本当に考えます。時間を割いていただくことになるので、それに見合う以上のものがあるのかどうか。

ただ、やってみると「たっぷり話を聴いてもらえる」という点が意外と効いているように思います。文章になって公開されるよりもずっと手前ですよね。

9月に記事を公開した目時白珠さんも、インタビュー後にいろいろ思い出されたようで、ご自身のブログにこんな記事をアップされていました。

会社を辞める決断をするまでの1週間、何をしていたか?

 

仕事の話とか過去の話、人生の価値観の話って、お友達に気軽に話すような中身でもないと思います。私のインタビューは、どうしてもそういうところばかり切り込んでいくことになるので、普段言葉にしないことを言葉にせざるをえなくなる。

言葉にするということは、考えるということです。「あ、そういわれてみれば何だろう」ということが絶対に起きるし、考えて言葉にすることではっきりすることもある。こちらがつまらない質問ばかりしなければ、の話ですけど。

私がこれまでにやってきたサービスって、だいたい「聴く」と「書く」で構成されていたわけですが、たしかに当時から、書いて形になる手前の「聴く」の部分でかなり価値を感じていただいていました。形がないものだけど、「聴く」の価値は大きい。

 

私たちは何かと「聴いてもらいたい」生き物なのでしょう。自分の存在を受け入れてもらえたような気持ちにもなるし、自分という存在の輪郭をはっきりさせる作業でもあるのだと思います。相手が鏡になってくれるから。

 

 

私自身、話を聴いてくれる人を、なんなら専属で1人雇いたいな…と思うことがわりとあります。

カウンセラーとコーチとコンサルが合体したような人がいい。親しい友人以外で、仕事上の利害関係がなくて、心を寄せてくれつつ客観性も残しながら話を聴いてくれる人(仕事の突っ込んだ話こそ聴いてくれる人が欲しかったりするけど、相手を選ぶよね)。えらい贅沢ですがw

今回のインタビューは知人に声を掛けているので、どうしても距離は近めになりますし、インタビューだから別に何かを解決する必要もないのだけど、自分の存在としてそういう立ち位置を意識している部分はあるかもしれない。私の個人的ニーズなのですけど。

 

ただ、どんな立場であれ「話を聴いてもらえた」と思ってもらうためには、やっぱり聴き手側が上手じゃないと無理です。そうじゃないと、話す側がとまどう。とまどった状態では「聴いてもらえた」なんて思えない。

インタビューって楽しくもあるけど、聴き手・書き手のスキルも人間力もいろいろなものが問われてしまう、残酷な形式だなと思ったりもします。

始めちゃったからには良いものが出せるように頑張るのですが、なんかまた大変なことを始めたな…とも思うわけです。

そもそも書いて世に出すという行為自体、書き手の底が知れてしまう恐ろしいものなので、もういろいろ諦めてますけどね…(爆)。