このサイト「chiemag(ちえまぐ)」は、サイトのトップに
どうせなら、面白いほうへ。自分らしく生きるための「chieマガジン」
と入れています。このサイトのコンセプト的なものですね。
わりと勢いで考えたので、いつ変更するかわからないんですが(爆)、
・「自分らしく生きる」だけでは、間違ってはいないけど明らかに物足りない
・もう少し掘り下げたら「どうせなら、面白いほうへ」という言葉が浮かんだ
…みたいな経緯でこうなっています。
それで、「どうせなら、面白いほうへ」と書いてしまった後に思ったのです。
「面白い」って何だろう?
テレビが面白い、漫画が面白い、歴史が面白い、数学が面白い…世の中には人それぞれ、いろいろ面白いと感じることがあると思います。
でも、「自分の人生を生きる中で、どうせだったら面白いほうへ行こうよ」っていうメッセージ、どうして出てきたんだろうか。別に「テレビが面白いならテレビに出なよ」みたいな意味では全然ないのです。
そういうわけで、「面白い」について考える記事を書いてみたいと思います。
そもそも「面白い」ってどういうことなのか
何を面白く感じるかは人それぞれだけど、敢えてそれをまとめて言葉にするなら、
・感情が刺激されること
・もっと知りたいと思うこと
なのかな、と思います。
例えば、漫画を読んでいて「面白い」と感じるときって、
・笑える
・泣ける
・どきどきする
→感情が刺激される
・次の展開が早く知りたくてページをめくってしまう
・同じ作者の他の作品も読みたくなる
→もっと知りたいと思う
…みたいなことが起きているのではないかと思います。
逆に、読んでいて「ふーん…」みたいな平坦な気持ちにしかなれなければ、それはおそらく「面白い」とは言わないですし、先が気にならず途中で飽きてしまうのも「面白い」とは言わないですよね。
「面白い」のはエンタメ的なものだけではありません。勉強して知識が増えていくのが面白い、みたいなこともありますよね。
例えば、数学の中にヒューマンドラマ的な「笑える」「泣ける」はあまりないと思うのですが(いや、あるのかもしれないけど、私は数学の面白さがわからないので推測…)、
・難問が解けたときの喜び
・1つ1つ問題を解いていくときのワクワク感
→感情が刺激される
・もっと難しい問題も解けるようになりたい
・違う解法でも解いてみよう
→もっと知りたいと思う
…という感じで、「面白い」の条件を満たせるわけです。数学は本当に苦手なので、全部推測なんですけど…。
なので、「面白い」っていうのは、ただ一時的に楽しく笑って終わり…みたいなものではなくて、感情が刺激されることで、次の行動が引き出されること、と言えるのかなと。
そういえば、昨年読んだ本のまえがき部分に、こんな言葉が入っていました。
何かを実現させる時に「面白い」とか「面白そう」という感情は、それに関わる人々の背中を押し、組織や世の中を突き動かし、物事をぐいぐいと前進させるとてもポジティブな力の源となるんです。
「面白い」は人を動かす、ということですね。
「面白い」と感じるためには条件が必要
ただ、何かを面白がるためには、条件があるのではないか?と思っています。
具体的には、ある程度の知識とか文脈が必要なのではないかと。
例えば…日本のお笑い番組は「面白い」と思えても、アメリカンジョークでは笑えないこと、ありませんか?笑いのツボが違うというか。
アメリカに住んだことのある人や、アメリカのテレビや映画をたくさん見てきた人ならともかく、アメリカの文化や背景を何も知らない人の場合、面白がりにくいのではないかと思うのです。
それから、さっきの例のように数学を「面白い」と思える人もいれば、私のようにまったくそう感じられない人もいます。
面白さを感じるツボは人それぞれだと思うのですが、それ以前に、私は数学がわからなさすぎて、「面白がれるレベルに達していない」ような気がしているのです。
難しすぎる話ってぜんぜん頭に入ってこないですよね。頭に入ってこないものはやっぱり面白いと思えません。感情も動きませんし、何をどう面白がればいいのかわからないですし。
でも、少しでも糸口があれば「へぇ~、もっと知りたい!」となる可能性があるかもしれない。
だから「面白い」って、
知っていることの中にある知らないこと
から生まれるのかな、と思うわけです。まったく知らないことやわけのわからないものから生まれるわけではなくて。
未知の世界が開けたり、ギャップに驚いたり…詳しく掘り下げるといろいろありそうだけど、そういうものが最も好奇心をかき立てられるのかもしれませんね。
生きる上で「どうせなら、面白いほうへ」行くこと
…というわけで、「面白い」というのは、
・知っていることの中にある知らないことから生まれるもの
・感情が刺激されて、もっと知りたいと思うこと
なのかな、と思うわけです。
それを踏まえて、「どうせなら、面白いほうへ」という言葉を考えると、
・今まで自分がやってきたことや見てきた景色の中に道はある
・一時的なワクワクだけではなく、「もっと知りたい」という好奇心も感じる道へ進む
という、まあまあ地に足の付いた結論になるのではないでしょうか。というか、そんな気がして選んだ言葉なのですけど。
「自分がやってきたことや見てきた景色」って、別に小説や映画で見た景色でも構わないと思うのですが、いずれにしても自分の中に蓄えられたものであり、財産です。
その財産を利用しつつ、感情を原動力にして、「もっと知りたい、深めたい、できるようになりたい」などと思える道を選ぶ。
「面白い」という言葉は、決して奇抜な物事やものすごく強力な刺激を指すわけではありません。
感情が大きく動いて「わあああああ、すごーーーーい!!!!!」とか「うおおおおお、楽しい…!!!!!」となると、それに飲み込まれがちになりますが、それって「面白い」の一部でしかない。
どちらかというと感情は火付け役でしかなくて(もちろん大事なんだけど)、もっと大事なのは、その先に「もっと知りたい」「もっとやりたい」みたいな、行動したい気持ちが出てくるかどうか、じゃないかな。
だから、「ワクワクするほうに進む」「好きなことをやる」という言葉がありふれていて、それはだいたい正しいと思うのですが、焦点を気持ちばかりに当てすぎない方が良いかもと思っています。
感情の動きは地味であっても、「なんか気になる」とか「なんかいいかも」ぐらいのものだって、自分らしい人生を作る可能性が十分にあります。強火で一気に調理した野菜炒めもおいしいけど、とろ火でことこと煮込んだスープも芯から身体があたたまる。
そういうわけで、「どうせなら、面白いほうへ」。
来週は1月分のインタビュー企画「生き方事典」も公開予定です。
他の誰かの人生を知ることで、新たな世界を知れるかもしれない。新たな世界を知った先に、「もっと知りたい!」がやってくるかもしれない。
「面白い」のヒントをちりばめたサイトでありたいです。