個性とは、他人にやさしくあるための言葉だと思う

こ‐せい【個性】

個人に具わり、他の人とはちがう、その個人にしかない性格・性質。

(出典:広辞苑第6版)

 

「自分の個性とか、わりとどうでもいいな」と、最近すごく思うようになりました。

そして、「個性っていう言葉は、他人のためだけに使えばいいのだよな」とも。

 

個人事業主をやっていると、「自分の強みを活かす」とか「自分らしいビジネスを」とか、どうしても自分の個性と向き合う場面が出てくるものです。自分で事業しなくても、たぶん就活とかでもそうだよね。

私自身も、「魅力」という個性の一種みたいなものを活かせるようにお手伝いしてきた立場だし、自分の個性ってある程度認識しておいたほうが絶対に仕事はしやすい、と今でも思っています。

 

そうなんだけど、でもやっぱり、もうどうでもいいかな、って思う。

 

 

個性を消すか、個性を出すか

 

思い返すと、「個性」に振り回されて生きてきたのだと思うのです、私自身が。

 

社会に出るぐらいまでは、個性なんてむしろ要らなくて、とにかく「みんなと同じになりたい」と思っていました。

なにしろ、ずいぶん小さい頃から、「仲間に入れてほしい」「仲良くなりたい」と願っても、なぜか笑われたり、明確に嫌がられてしまったり、すんなり仲間に加えてもらえなかったり。

 

「あなたは私たちと違う」

 

逐一そんな線引きをされているような気がして、とてつもなく寂しい気持ちになったもんです。

いちいち違うと思われてしまって、悲しい想いをするのなら、私はみんなと同じになりたい。同じになろう。頑張ってみたけど、まあできないわけです(笑)。

なんで自分だけあぶれちゃうのかなあ、居場所がないなあって、ずっとぼんやり思っていたのが子どもの頃。

 

で、逆に大人になってからは、これだけ居場所がないのなら、もう振り切って個性的になるしかないのでは?みたいな発想に移っていきます。

振り子とかを片側に思いっきり引っ張って離すと、当然ながら反対側に思いっきり振れるわけで。まあ、たぶんそれ。

 

「私はあなたたちと違う」

 

最初から自分でそう言ってしまえば、周りから「違う」って言われても怖くないのですよ。「私、バカなんです」って先回って言っておけば、あとからバカだと知れても怖くない、みたいなやつ。

 

フリーランスになり、自分で仕事を取りにいくような働き方になったので、冒頭にも書いた通り、ある程度「なぜ私に仕事を頼むのか」「私はどんな奴で、何ができるのか」みたいなところは、伝えられた方が良いに決まってました。

でもね、それを真剣に考えれば考えるほど、なぜか問題が生じるんです。

 

 

「個性」は、自分を中心に考えるとだいたい間違える

そう、間違うのですよ。個性、個性…って思っていると。

 

理由は2つあると思っています。

ひとつ、自分のことを100%客観的に見ることは基本的に不可能なので、そもそも自分が持つ本質的な個性に気づけない。

ひとつ、個性を出したいあまり、周りと違うことをしようと意気込んでしまう。そしてそれによって出てきたものは個性ではない。

 

「人と違いたい」って思っているときって、無理に奇抜なことをやろうとしたりしがちですけど、それってただ奇抜なだけであって、個性じゃないです。

そもそも、「人と違うことを意識的にやろうと気合いを入れる」っていう時点で、基準が他人軸じゃないですか。

 

たしかに、自分と同じ人は一人たりともいないけど、似たような性質を持った人っていうのはちゃんといるわけで、絶対自分じゃないといけない代わりのない性質を追求したとしても、実際はそういうのかなり稀です。

だから、左右されすぎると個性を見失う。周りと違うこと=個性とはいえないし、「周りと違うこと」という軸で考えている時点で、もう個性ではなくて「媚を売る」というやつに近づいていってる。

 

でね、思うのです。

結局、私が思っていた「個性なんて要らない」も「個性が欲しい」も、自分のためでしかなかった。

個性を主張しようと肩に力が入っているときほど、「もっと私を見て!」にしかならない。「私の個性を尊重してください」という押し売りにしかならない。

 

「個性」に気が向きすぎているときって、たぶん自分のことしか考えていないし、ものすごく視野狭窄に陥っているときなんですよね。個性というよりもエゴが前面に出てしまっているとき。

なんかたぶん私、個性っていう言葉を利用して、やさしくしてほしかっただけなのだろうなあ。こんな自分でいていいのだ!という承認が欲しかったのだろうなあと、今振り返ると思う。

 

 

個性の正体って、なんなのだろうか

 

たぶん、なのですが。

 

個性とは自分自身を束ねたもの。

自分っていうのは、人生の長さの分だけある。つまり、私の年齢であっても既にそれなりのボリューム。

ボリュームがあるもんだから、たまにぼろぼろと束ねきれずに出てきてしまう。ポニーテールのおくれ毛みたいなやつ。そのぐらいさりげなく、滲み出てしまうもの。

 

個性を作る「自分」っていうのは、もちろん先天的&後天的な性格も含むのだろうけど、それだけじゃなくて。

 

自分の頭で考えること、そしてその考えた中身。

自分の心で感じること、そしてその感じた中身。

自分の行動してきた軌跡。

自分が好きだと思う物事、嫌いだと思う物事。

自分にできること、できないこと。

 

たぶんこういうものが全部まるっと合わさって、個性になっていくのだろうと思うのです。

これって全部、私たちが日々繰り返しやってることなんだよね。日常を1つ1つ丁寧にこなしていくと、それは全部個性を作ってくれる。

自分の個性をはっきり伝えないといけない場面もあるのかもしれないけど、日常の中で期せずしてはらりと香ったりするようなものでもあるわけで。

 

 

個性という言葉は、自分以外に使ったらいい

自分の個性を意識しすぎるとおかしなことになる。個性なんて、ただ日常を積み重ねていくだけでいいんだと思う。

一方、人って誰でも認めてもらいたい生き物です。私がそうであったように。というか、今でもそうであるように。前ほど熱烈ではないにしても。

 

そういうことなら、他人の個性をこちらからすすんで認めてあげたらいいのだと思う。「個性」っていう言葉は、そのためにあるんじゃないだろうか。

 

世の中、いろいろな人がいる。私だって、好きな人も嫌いな人もいるし、得意な人も苦手な人もいる。それは別におかしくもなんともないことで。

嫌いな人や苦手な人と無理に付き合う必要はないけど、それでもその人たちにだってちゃんと個性はある。「いろんな人がいる」っていうのがまさに個性なわけで。

 

好き嫌い関係なく、目の前の相手に「そこにいていい」「それでいい」と言ってあげられたらいい。「こういう個性があるよね」という事実を、素直に認めてあげられたらいい。

 

仕事などで上に立つ立場にいるのなら、その個性を活かして活躍できる方向に仕向けてあげられたら素敵。自分で個性を意識するのは難しいのだから、他人が意識してあげて、活かしてあげるほうが早いのだと思う。

ビジネスなんかだと、自己PRとかブランディング的な意味で「個性を活かす」とか「自分らしく」って言葉がよく使われる。それは自分の利益になることでもあるけど、他人の利益になることも忘れちゃいけない。

ビジネスで見つけてもらいやすくするのって、お客様の役に立つためだと思うんだよね。仕事はお客様に喜ばれなければ成り立たない。自分がいくら目立っても、いくら個性的であっても、お客様がお金払ってくれなくちゃ、ね。

 

うーん、なんかうまくまとまらないけど、個性を認めるってそういう感じ。自分を中心に置くのではなくて、他人のために自分を使おうとする中で、かえって色濃く出てくるもののようにも思う。

とにかく、自分なりのやり方で、まずは相手にやさしくできたらいいな、と思うのです。相手の個性をまず認めてあげられたらいいな、と思うのです。

 

 

そうそう。

昔悩んでいた「自分の居場所」問題は、いまだにきれいに解決していない気がしています。

 

まあ、居場所なんて自宅の布団の中でもいいんじゃないかな、と思ったりもするのだけど、それより何より、自分「が」居場所になれたら、それはそれで素敵じゃないかな、とも思ったりします。

受け止めてくれる人がいるって安心する。そういう人とともにいられること自体が、ちゃんと「居場所」になる気がするんだよね。

 

さて、そんな女神のような人に、いつか私はなれるのでしょうか。言うことだけは立派だな、私。

 

 

※「個性」の話、続き。

個性という魔物を寄せつけない2018年に(今年の漢字とか抱負とか)