【人間観察日記・0】人間という愛おしき生き物の話

 

思えば「人を見る」仕事をずいぶんやってきた。

 

今の仕事は、1人1人の魅力や強みをビジネスに変えることなので、完全に人を見るのがメインといえる。

というか、相手の本質までよく観察しないと仕事にならないようなことを仕事にしている。

その前はカラーセラピーを提供していて、これまたクライアントをよく見つめないとできない仕事だった。

 

もっと遡ると、社会に出て最初の仕事は、英会話学校で英語を教える仕事。

生徒は3歳から80歳までいたから、文字通り「老若男女」に教えていたことになる。

ちゃんと成果を出そうと思うと、生徒の英語レベルや性格、つまづきやすいポイントなど、いろいろなことを観察しなければうまくいかない。

 

さらに、講師の採用面接、研修、給与査定なんかもやっていた。

これまた、一定の基準があるとはいえ、基本的には人間観察の仕事だ。

 

当時は自分のことで精一杯だったので、人間観察だなんて思う余裕はなく、目の前の仕事を片付けるのに必死だったけど、

あの頃から、いろんな人に会っていろんな人を見るという経験を積んでいたのだと思えば、ムダなことって本当にないんだなと思ったりする。

 

 

多くの人に接すると、とにかくいろんなことを思っている人がいて、いろんな思考回路を持った人がいて、

そしてそれが当たり前なのだということが、実感としてよくわかるようになる。

 

そりゃ頭では最初からわかっていたけれど、いろんな人に接していろんな話を聴けば聴くほど、嫌でも腑に落ちるというものだ。

いろんな人がいるのが当たり前だと思うと、どんなぶっ飛んだ話を聞かされてもあまり驚かず、淡々とフラットに話を聴けるようになった。

 

みんなそれぞれ一生懸命生きている。それだけは紛れもない事実だ。

その姿を見つめていると、愛おしくて何とも言えないような気持ちになる。

 

イライラしているように見えても、悲しそうな顔をしているように見えても、たとえ、みすみす不幸になりそうな道を選んでいるように見えたとしても、

一生懸命生きていることには変わりないし、一生懸命だからこそ、何とか幸せになりたくて、苦しい顔をしながら必死で光を求めて歩いているようにも思える。

 

逆に、幸せそうなふりをしながら悲しみや怒りを抱えて生きている人だっているけど、

それだって、幸せに憧れ、幸せが欲しくてたまらないからこそ、幸せそうに見えるように頑張って振る舞っているのだと思う。

 

そういう葛藤みたいなものって、家の中とか、親友の前とか、ちょっと気が緩んだときほどよく見えるものだ。

 

カフェで一休みしているときも、比較的そうなのだと思う。

 

いろんな人間模様が見られるカフェという場所がとても好きだ。

みんなが思い思いの時間を過ごしていて、そこにいろんな感情が透けて見えてくる瞬間。

ふとしたゆるみに見える人間らしさみたいなものに、ついこちらの頬もゆるんでしまったりして、その感覚がまたとても好きだ。

 

私たちは誰一人として完璧ではないし、みんなどこかめんどくさくて変で、それがきっと普通なのだと思う。

だからこそ人間観察は飽きないし、人間という存在にもたぶん一生飽きない。

 

 

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※現在はnoteでエッセイ執筆中です。