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魅力的な人&モノ ひとりごとコラム

星野源「ドラえもん」と、大人の私と子どもの私。

投稿日:2018年1月28日 更新日:

いくらファンだからって、CD出すたびに何かを書きたいわけではないのです。本当に感動したときだけ書きたいのです。そうじゃなければTwitterで適当につぶやいて終わりで良いわけで。

でも結局、感動して書かされてしまう。今日は星野源さんの新曲「ドラえもん」の話を。3月に公開される「映画ドラえもん のび太の宝島」の主題歌。

 

 

既にラジオではフルで流れているので、何度も聴いているのだけど、最初のうちは「この曲ヤバい…!」「星野さんすげえええええええ!!!!!」みたいな気持ちで。

「ドラえもん」というど真ん中のタイトルになった時点で、相当良いものでないと藤子プロが許さないだろうとは思っていたけれど、予想通りだった、というか予想の斜め上だった。

 

あくまで自分のやりたい創作から手を離さないままで(歌詞も音楽も完璧に星野源ワールド)、映画「ドラえもん」の主題歌としても機能を完璧に果たしてる(ドラえもん要素がそこいらじゅうに盛り込まれている)。

「好きなこと」と「求められること」の両立をここまで高い濃度でやっちゃうとは。広い意味で「創作」に足を突っ込んでいる者として、フリーランスとして自分のサービスを売る者として、この「両立」ってけっこう大変だと思っていたのに。

 

この人の頭の中はいったいどうなってるんだろうか。もしかして四次元ポケット持ってるんだろうか。

もはや星野源=ドラえもん説である。もともと尊敬していたけれど、ますます尊敬レベルがアップしてしまった。

 

さて、ここまではあくまで「大人の私」の感想である。

 

 

さらに何度も繰り返して聴くうちに、今度は子どもの頃のいろんなものが甦ってきて、泣けてきてしまった。

どういうことだよ。映画じゃないところで泣かされるのかよ。主題歌だけで泣いてたら映画館で身が持たないじゃないか。

 

音楽もだけど、歌詞がいけない。私はつい歌詞を一生懸命聴いてしまうタイプなのだが、「ドラえもん」の歌詞は、聴けば聴くほどするすると耳に入ってきて、馴染んできて、そして泣かされてしまう。

特にいけないのは以下の2行だ。この2行が、子どもの私を泣かしにくる。CD発売前で歌詞はまだ公開されていないので、正確でなかったら申し訳ないのだけど。

 

ここにおいでよ 一緒に冒険しよう

何者でもなくても 世界を救おう

 

…ああ、子どもの頃にこの歌があったら、どんなに良かったことか。

 

いつもなんというか、身の置き場がなかった。それも、かなり小さい頃から。友達と遊んでいても、なんだか居心地が悪くなって、黙って帰ってきてしまうことも多かった。

学校の班決めなんかは地獄でしかなかった。いつも話してくれている子たちも、すーっと自分から離れて、他の人たちとくっついていくあの感じ。友達だと思っていたけど、そうでもなかったのか、って気づかされる瞬間。

もっと仲良くなりたいな、と思って近づくと嫌がられる…という経験が小さい頃に続いた。私の言動がまずかったのかもしれないけど、悲しい記憶がべっとりしみついている。そのせいもあって、相手の反応に過敏だったのかもしれない。

でもとにかく、子どもの私としては、深くつながれる友達がずっと欲しかった。自分と周りとの間には、常に境界線が引かれているような気がして、「あなたは私たちとは違うのよ」と言われ続けているようだった。

 

そんなときに「一緒に冒険しよう」って声を掛けてくれる人がいたら、最高だっただろうな。

 

というか正直、それぐらいの人が1人でいいからいてほしかった。まあ実際は、そこまで優しい人なんてドラえもんぐらいしかいないのかもしれないけど(ドラえもんはそもそも人じゃないが)、ただ境界線の向こう側に行きたかったのだよ私は。

だから、「ドラえもん」を何度も聴いて何度も冒険に誘ってもらったところで、小さい頃の孤独感みたいなものが胸にぐわっとこみ上げてきて、子どもの私が泣いた。

 

 

ドラえもんの登場人物は、ドラえもんの存在を除けば、ごく普通の人たちだ。だから、ドラえもんの映画はまさに「何者でもなくても 世界を救おう」という話になる。

映画やアニメの中では、何者でもない普通の人たち(子どもたち)が世界を救うってとてつもなく夢がある。でも勝手ながら、星野さんは絵空事としてこの歌詞を書いたわけじゃないような気がする。あくまで私の勝手だけど。

 

所詮何者でもないのだ、私たちは。そもそも何者でもなくて良いのだし、それでも世界は本当に救えるのだ。

 

たぶん世界を救うって、首相とか大統領になることではないし、まして戦争に勝って全世界を支配するようなことでもない。世界的大企業を作ることでもないし、地球から争いを根絶することでもない。

しずかちゃんが遊びに来てくれたらのび太君が嬉しい!みたいな、そんなことなんじゃないだろうか、世界を救うって。

1人の存在が、1人の言動が、誰か1人でも幸せにしていたら、それは世界を変える力になっているはずで。そして、何もしていないようでいても、だいたい誰もが1人ぐらいは幸せにしているものだ。本来はもっと。

 

そう、だから世界を救うためには、別に偉い人である必要もないし、無理やり自分をアピールする必要もなかった。まさに「何者でもなく」ていいわけだ。

実際の意図は知らないけれど、私の耳には、あの1行にそこまで入っているように感じられた。

 

いつもみんなとの間に境界線があるように感じていた私は、何とかして境界線の向こう側に入れてほしくて、でもどうしたらいいかわからなくて、おかしな無理を重ねていた。

優しくしなければと頑張りすぎていた。「それはあなたが心配することなの?」と先生に言われるほど、さまざまなことを抱え込んだ。「ものすごく頑張らなければ認めてもらえない」と思い込んでいた。そして少し同情してほしかった。

ものすごく目立たないといけない、もっと面白くないといけない、もっと可愛くないといけない…数えたらきりがないぐらい全てのハードルを上げまくったけど、届くはずもなく、何者にもなれない自分を責めた。

 

そこに「何者でもなくても 世界を救おう」である。

 

窮屈そうにしていた子どもの私が反応する。肩の力が抜けた。そして泣けた。

もうどうしてくれるんだ本当に。涙として出ていってしまった水と塩を星野さんに請求したいぜ。

 

 

星野源という人の生み出すものは、誰も置いてけぼりにしない。いや、まったく0ではないかもしれないけど、あぶれる人を最小限に抑えるように創られている。前回のFamily Songもそうだった

そしてそれは、常に置いてけぼりだと思っていた私が、ずっとずっと目指してきた姿なのだ。

 

気づいたら私は、「マイノリティ」「弱者」と呼ばれる人のことを勉強するようになっていた。あぶれてしまいがちな人たちがあぶれないようにするにはどうしたらいいのだろう、と考えるようになっていた。

どんな立場の人も包み込めるような懐の深さを持ちたい、とずっと思ってきた。少しでも優しくありたい、と思ってきた。子どもの頃の私が抱えていた寂しさを、同じように抱えてしまう人が1人でも少なくて済むように。

でも、私は人間が小さいらしく、優しくなりきれないどころか、苛立ちや怒りをうまく制御できないことも多かった。そんな自分が許せなくて、また優しくあろうと頑張って、また苛立って…というエンドレスループにハマっていた。

 

鬱屈とした私とは対照的に、作品という形でこれを軽やかに実現していたのが、私と同じ年に生まれた星野源という人だった。

 

この人の大きさには敵わない、と星野さんの作品に触れるたびに思う。敵わないと思いながらも、つい憧れと尊敬で追いかけてしまうし、どこか真似できるところはないかと探してしまう。

そして、ただでさえそうだったのに、今回ついに、子どもの頃の私にまでアプローチされてしまった。勘弁してほしい。なんかもう、手足を縛られたような気分じゃないか。もう、次はいったい何をされてしまうのか。

 

居場所を見つけられず、一緒に冒険に連れていってもらえなかった人間は、自分が居場所を作って旗を振って、あぶれている他の人も冒険に連れていってあげるという仕事があるのかもしれない、と最近ほんのり思っていた。

そして、私自身が旗を振れる存在でいたいと思っていたわけだけど、どうやら私のほうはまだ時間がかかりそうだ。とりあえずこのまま星野さんに連れていってもらおう。そして、背中を見せてもらいながら旗を振れるようになろう。

もちろん芸能人になりたいわけではなくて、自分の持ち場の話をしている。

 

君をつくるよ どどどどどどどどど ドラえもん

 

…ああ、最後は「君をつくるよ」って歌ってるのか。ドラえもんをつくるのか。

ドラえもんは22世紀のロボットだから、ドラえもんに会うためには、その途中にいる私たちがドラえもんを作らないといけない。たとえ私たちが直接作れなくても、私たちが残す何かを使って、次の世代が作ってくれるかもしれない。

 

未来はちゃんとドラえもんにつながっている。何者でもなくても世界が救えるのだから、いつかきっとたどり着くはずなんだ、みんなで冒険に出るドラえもんの世界に。

 

 

 

 

 

 

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