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雑食系フリーランス 及川智恵/世界には、人の数だけ「面白い」が溢れている。

ひとりごとコラム

イルミネーションは1つ1つの電球をちゃんと配線してるから美しいのであって

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ああ、良い記事を読んだなあ、と思った。

 

「語られて」しまうもの、あるいは編集された人生

 

紹介されている「断片的なものの社会学」という本は未読なので、ここに書かれている限りの内容でしか判断できないのだけど、この文章全体的にものすごく共感したし、これもっと言わないといけない話なんじゃないかと思った。

 

例えば誰かのこと(自分でもいいけど)を文章にするとして、365日×年齢分、すべてを網羅することは不可能だ。

だから、だいたい何らかの切り口で切り取って(編集して)書くことになる。仕事のこととか、家族のこととか、その他、多くの場合は「面白くなりそう」と思われるような切り口で。

切り取ること自体は別に良し悪しではなくて、そういうもの。そうじゃなきゃ文章が読めたもんじゃない。

 

ライターさんの書いた文章じゃなくてもいい。SNSを考えてみてほしい。Facebookに書かれていることがその人のすべてかというと、そんなはずはない。書かれていない時間のほうがはるかに長いのは、少し考えれば明らか。

でも、なぜかFacebookがキラキラしていると、その人が四六時中キラキラしているものだと錯覚を起こしがちだ。下手すると、他人のキラキラ具合と自分の殺風景な日常を比較して、どんより落ち込んだりもする。

いやいや、殺風景なものは書いてないだけだってば。「インスタ映え」というか「Facebook映え」しないから。まあ、「Twitter映え」ならするかな。でもあれはあれで別の面白さが要求されるから、やっぱり殺風景なものはカットか。

 

Webが当たり前になり、SNSが当たり前になり、自分の日常を晒すことが当たり前になり、私たちは忘れがちになっている。そこに書かれていない時間が圧倒的にたくさんあるのだということを。

すっぴんでごろごろしている時間があったり、陰でこっそり努力してる時間があったり、ぼけっとテレビを見てる時間もある。怒っている時間も泣いている時間もたぶんある。睡眠やお風呂やトイレの時間だって普通にある。

ただし、そういうものは書かれていないことが多い。確実にどこかにあるはずなのに、焦点を当てられることは少ない。

 

そして、1人の人間の中に語られていない部分があるのも事実だが、そもそも語られない人だっていて、むしろそっちのほうが大多数のはずだ。

語られる人ってどうしても、ヒーローみたいな人か、突出して面白い人か、逆に突出して失敗している人か、いずれにしても何かしら突出している人が多い。でも、世の中そんなに突出した人ばかりではない。

語られないからって存在しないわけではない。突出していない人たちが何もしていないわけではなくて、いろいろな苦楽を味わいながらちゃんと生きている。むしろその点に絞れば、突出しているかどうかは関係なくみんな同じだ。

 

 

イルミネーションの季節になってきてふと思うのは、光に近づけば近づくほど、配線や1つ1つの電球が見えてしまって微妙な気持ちになるあの瞬間のことだ。

 

遠くから眺めているときは、たくさんの光がキラキラしていて美しいのに、木の枝に巻き付けられた配線類や、単なる電球に成り下がった光を間近で見て、「ああ、これ電気なんだよな」と現実に引き戻される感覚、私だけだろうか。

いや、わかっている。至極当たり前のことなのだ。電気なのだから。っていうか、電球1つ1つをきちんと配線して初めて、きれいな明かりが灯るのだから、むしろ電球や電線たちに感謝しないといけないぐらいなのに。

それなのに、なぜか少しがっかりする自分がいる。きれいな光だけを見ていたかったな、と思ってしまう自分がいる。実際、世の中のイルミネーションは100%、電線や電球が「編集」された状態で紹介されているわけだし。

 

私たちはどうしても光を見てしまうし、光を見ていたくなってしまう。でも、たいていの場合、光には影がつきものだし、下手するとすぐそばに真っ暗闇さえ見つかる。汚くて見たくないものが隠れていることもある。

そして、自分の見えていない範囲に何かがあるかもしれないと気づけていることと、「見えないのだから何もないのだ」と決めつけること。この2つはもう、雲泥の差だ。

だから、冒頭で紹介した記事に書かれていたみたいに、「本当に?」と疑いを持つ余地はどこかに残しておきたい。見えているもの、書かれていることだけがすべてではなく、切り取られた部分があるのかもしれない、と。

 

で、そんなことを思っていたときに聴いたこの曲(CMだけど)。

 

(この曲、来週配信らしいので買う…絶対買う…)

 

「神様お願い 変わりばえしない明日をください」って歌詞が聞こえて震えた。わざわざ変わりばえしない明日を神様に求めるって。宇多田ヒカル素敵すぎる。

編集されてしまって語られにくいものの1つが、「変わりばえしない明日」みたいなことなんじゃないかと思うんだけど、それって実は何よりも尊いもののはずだもの。

 

変わりばえしないなんて面白くない、っていう意見も理解できる。でも本当は、それがあるからこそ私たちは生きていられるんじゃないだろうか。それこそ、空気みたいなもの。

人生はドラマティックな展開だけで成り立つわけではない。当たり前のように息をしなければ生きられないのと同じで、当たり前のように過ごす家や家族や日常や、いろんなものがある。

そして、私たちはときどき、忘れた頃に酸素不足を起こして苦しくなるのだ。ああ、変わりばえのない日々ってどれだけ貴重だったのだろうか、と。

 

人生の中で変わりばえしない部分を、編集されて見えなくなりがちな部分を、大事にできる人が私はとても好きだし、そうありたい。見えないところに想いを馳せられる人でありたい。

だって1日の重みって、誰にとっても、どう過ごしても、本来変わらないはずなのだから。そして、光の当たらない人たちや光の当たらない時間こそ、私たちを支えてくれたりするのだから。

 

そして、そういうこぼれがちなものこそ敢えてクローズアップして書きたくなる。ウケにくいっていうのも、読ませるにはものすごく高い技術が必要だってことも、全部承知の上で。

 

 

とはいえ、「こぼれがちなものにクローズアップする」っていうのも、当然ながら「切り取る」ことだ。私はこの本に書いた人たちのことをほとんど知らない。知らないからこそ良い記憶で残すのが礼儀かな、と個人的には思ったりもする。

 

断片的なものの社会学」、とりあえず購入完了。

 

 

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