三が日終わってしまいましたが…あけましておめでとうございます。
年末年始、ほぼずっと仕事をしていたので、「昨日の続き」みたいな感じで年を越した感じがしませんが、2018年なんですよね…。
ぼんやりしてたら個展が8日後に迫っていたりするので、とりあえず体調だけ何とかして乗り切ろうと思います。(がんばるのでみんなきてね)
さて。
毎年恒例「今年の漢字」2018
私の中ではだいたい毎年恒例なんですが、年始のうちに、手帳に「今年の漢字」を書くことにしています。抱負代わりみたいなもんです。
昨年末から頭の片隅でぐるぐると考えていたのですが、脳内審査の結果、2018年はコレになりました。
…なんかちょっと「大丈夫?」って感じもあるチョイスではありますが、一応いろんなことを考えて選んだ1文字なので、ちょっとだけ背景を書いておこうかなと思います。
エゴをなくす、ということ
まず私の中にあったのは(けっこう長い間頭の中にあったんだけど)、「エゴをなくす」「個性を無理に出そうとしない」というテーマなんですね。
9月の時点で、私こんなことを書いていました。
個性を主張しようと肩に力が入っているときほど、「もっと私を見て!」にしかならない。「私の個性を尊重してください」という押し売りにしかならない。
「個性」に気が向きすぎているときって、たぶん自分のことしか考えていないし、ものすごく視野狭窄に陥っているときなんですよね。個性というよりもエゴが前面に出てしまっているとき。
※出典はこちら↓
組織に属さず自分で仕事をしていると、何らかの形で「自己PR」とか「セルフブランディング」みたいなものを求められる機会も多いのだけど、それに飲まれない、というか。
自分らしさとか個性を出そう出そうと頑張ってる時点で、もうそれは個性じゃないし、「こう見られたい」って見られ方を操作しようとしている時点で、それはもう個性じゃなくて演出になる。お客様に関係ない「エゴ」になってしまう。
かといって「エゴをなくす」って簡単ではないというか、少なくとも私は主張もしたいし認めてほしいしエゴとか欲にまみれて生きているもので、「どうしたらいいんだろうな…」とずっと思っていたわけです。
個性という魔物を寄せつけない方法
思い続けて数ヵ月。
年末にちょっと答えが見えてきました。
【真夜中のひとりごと】個性とは魔物のような言葉。エゴというものが一番なくなったときに、その人の個性が出てくる。こう見られたいとか思ってるときは個性が死んでる。 …うんざりするぐらい星野源で申し訳ないんだけど、実はこれも星野さんが語っ...
及川 智恵さんの投稿 2017年12月25日月曜日
↑元をたどると星野源さんに行きつくあたりが私なんだけども(尊敬してるから仕方ない)。たぶん9月の記事も彼の言葉を自分で咀嚼した結果書いたんだと思う。忘れたけど。
でも、吉田ユニさんもすごく個性的なデザインをなさる売れっ子なんですよね(情熱大陸にも出られましたね)。時代の先端を行く二人がそう言ってるわけだから見逃せない。
で、エゴがなくなった瞬間っていうか、変なところに欲を出さなくなった瞬間っていうのが、思い返してみるとたしかにあったんです、2017年。
京都での個展の作品を創っていたとき。
あのときの自分を思い返してみるとね、ものすごい集中力だったの。時間的に厳しかったのもあるんだけど、「とにかく良いものを創りたい」「思ったことは全部やりたい」っていうのが土台にあって。
そう、たしかに土台には欲がありまくったんだけど、集中してしまうと全部どっか行っちゃうんですよね。作品をどうしようか、それしか考えられなくなってしまう。というか、ほとんど何も考えてない境地みたいな。無心。
あの感覚を思い出したとき気づいたんです。ああ、エゴがなくなるってこれかもしれない、って。
エゴとか変な自己顕示欲とかにとらわれているとき、私たちってたぶん暇なんだと思うし、十分集中していなくて、よそ見をしているのだと思います。
逆に言うと、今手元にある物事に徹底的に集中してしまえば、エゴの入る余地なんてなくなるし、個性なんて言葉を使わなくても自分自身をすべて込めるしかなくなる。
力を注ぐべきところにしっかりと注いで、本気で取り組む。それだけで、自然と自分らしい何かができるってことなんですよね。
※そう、そんな感じでとにかく良いものを見せたい一心で創作をしたので(フォトブックも「人間観察日記」も含めて全部)、東京の個展絶対来てね。大半がこの、ものすごい集中力で創った作品たちなので。(突然の宣伝と欲)
「本気」を超えて「狂気」で。
エゴの入るすき間がないくらい、徹底的に集中すること。それっておそらく、「そのぐらいお客様のことを想う」という面もあるし、あとは「余計なことを考えたくならないぐらい、好きなことをやる」という意味でもある。
2018年の漢字はそのあたりを表せるやつにしよう、と12月の最後のほうに決めました。
どんな漢字ならその雰囲気を表せる?と考えていたときに、たまたまこのツイートを目にしました。サカナクションの山口一郎さんのツイート。
※実は年末に彼の講演を聴いたのですが、これがすごく面白かったんだよねぇ。
みんな「本気」だから「狂気」でなければ上に行けない。
— 山口 一郎 (@SAKANAICHIRO) October 30, 2017
人生の先輩から教わったそんな言葉が頭の中をぐるぐる致します。
— 山口 一郎 (@SAKANAICHIRO) October 30, 2017
「本気」なだけではみんなと一緒だから、それじゃ上には行かれない。「狂気」でなければ。
あ、これだ!と思いました。というわけで「狂」はここからもらった1文字です。一郎さんと人生の先輩のどなたか、ありがとうございます。
「狂」って、頭おかしい感じだけじゃなくて(笑)。「熱狂する」みたいな、とんでもなく集中することとか没頭することも指しますよね。溺れるぐらいにハマること。
字面だけ見ると、相当振り切った感じにも見えるけど、まあ目標として掲げるならこのぐらいがちょうどいいかな、と。
2018年、こんなことをやりたいです
あまり「これやりたい」というのを宣言するのは好きではないのですが、一応おおざっぱなところだけ書いておくと、
- やりたくない仕事を捨てる。
※捨てたい内容はもう具体的に決まってます、別の仕事入れないと飢えるけど何とかします - エッセイと小説と詩を書く。
※小説と詩はなぜかリクエストが来たので…。小説書いたことないけど少しずつ挑戦しようかと - 新しいカメラを買って創作&撮れるモノの幅を広げる。
※コンテスト的なやつも出してみたいけど、私の作品がハマるところあるのだろうか - 写真と文章を使って「仕事」をする。
※創作は好き勝手だけど、ちゃんと誰かのために使えたらいいなと。ライター的な仕事なんですかね、でも競合だらけなのでちょっとやり方考えます - 裏方もしくは2番手として仕事をする。
※前に出たい欲みたいなものは創作で消化すればいいし(笑)、仕事となると黒子的なサポートのほうが向いてるような気がやっぱりしてきてる。捨てる仕事の代わりに
なんとなくこんな感じのことを考えてます↓
2017年、失ったものも得たものもいろいろあったと思うけど、落ち着いて見直す時間がない年末なのがすごく苦しい。自由に思考や感情を巡らす余裕を残しておかないと私の場合は心身ともに死んでいく。逆にそれさえあれば少々忙しくても耐えられる。それがよくわかった。2018年に断つべきものは明確。
— 及川智恵@雑食系フリーランス (@oikawachie) December 29, 2017
11月に京都で個展をやって、それに向けての創作がとにかく楽しかったのがインパクト大。自分の中にあるものを総動員して結びつけてイメージをふくらませて、「素材は写真」という制約の中で形にしていく。総動員できる範囲がまだまだ狭いとはいえ、頭と心と現実世界を自由に行き来することの楽しさよ。
— 及川智恵@雑食系フリーランス (@oikawachie) December 29, 2017
今の自分は作品だけで食えるわけではないので、できるだけこういう自由な思考回路でやれる仕事を加えて生きていくというのが2018年~のベスト戦略のような気がする。写真も文章もたくさん生みたいからこそしっかり働きたい。でも最も長く積み上げたキャリアは自由を奪うやつ。違う何かを開拓しなければ
— 及川智恵@雑食系フリーランス (@oikawachie) December 29, 2017
…Twitterは思考のメモ代わりに便利だねっ!(最近ちょっとつぶやき過多)
思考が自由でないと本当に死んでしまうし、何よりも飽きてしまうのですよね、私。一方で「自由」って能力が高くないと何にもならないと思うので、しっかり力を付けることも考えないといけないです。
大きくキャリアチェンジする可能性もあるなあとぼんやり思っていますが、個展が終わらないと年が明けた気持ちにならないので、まずはこんなところで!
いずれにしても、及川智恵という人間を丸ごと面白がってもらえるように、そして各分野で少しでもお役に立てるように、ドタバタしていきたいと思います。私のやることは全部仕事で全部遊び!みたいな感じにしたいです。
本年もよろしくお願いいたします!